いなり寿司は手軽にお昼ご飯になったり、夕食のメインメニューや人が集まるパーティーの一品にもなり、手でつまめるフィンガーフードとしておススメのご飯もの。
今回はいなり寿司のことで、なぜそういわれるようになったのか?呼ばれ方が違うその理由など、いなり寿司の周辺についての記事になります。
いなり寿司って?
作る人によって大きさや形は様々ですが、関西から西はこの三角形が多く、関東から東は長方形の形が多いです。(不格好ですみません!)
いなり寿司をつくるの?って言われる方もいらっしゃるかもしれません!作れるのです!!
しかも自分で作ったら味や形、買うよりコストが安くつくところから私は作るようになりました。
いなり寿司の特徴
いなり寿司は油揚げを湯通しして甘辛く煮たものに酢飯を包んで三角形の山形にしたものです。食べると甘辛い油揚げと酢飯の甘いと酸っぱいご飯がうまい具合に混ざり合ってちょうどいい味付けのご飯です。
地方によってはごまやちりめんじゃこ、紅ショウガのみじん切りなどを入れたりするところもあります。いなり寿司の酢飯にちらし寿司の具を入れて作る五目稲荷は野菜も入ってめっちゃくちゃ美味しい^^
私は基本、ちりめんじゃこと白いりごまを入れます。人に持っていくときは紅ショウガを入れて持っていきました。
いなり寿司はこんなふうにして作られる日本のご飯ものなのです。
いつ、どこで誕生したのか?
さて次に、いなり寿司の起源について記していきたいと思います。
いなり寿司の起源
ちょっと調べてみました。
いなり寿司は天保の頃(江戸の末期)名古屋で生まれたとされています。(はっきりしたことは分かりません。)
いなり寿司のことが記されている最古の資料、著書『守貞謾稿』に出てきます。
守貞謾稿巻1,3-16,18-30,後集巻1-4 国立国会図書館デジタルオンライン
見世物小屋などが並ぶ歓楽街で、小腹がすいた人向けに箸や素手で食べられるファーストフード的な存在で広まったとされています。
豊川稲荷ではいなり寿司発祥の地と言っていますが、詳しくは分かりません。
西日本は三角形が主流です。キツネの耳を表しています。(稲荷大明神の使いである狐の耳)
いなり寿司は天保の頃(江戸の末期)名古屋で生まれたとされています。(はっきりしたことは分かりません。)
いなり寿司のことが記されている最古の資料、著書『守貞謾稿』に出てきます。
守貞謾稿巻1,3-16,18-30,後集巻1-4 国立国会図書館デジタルオンライン
見世物小屋などが並ぶ歓楽街で、小腹がすいた人向けに箸や素手で食べられるファーストフード的な存在で広まったとされています。
豊川稲荷ではいなり寿司発祥の地と言っていますが、詳しくは分かりません。
西と東の形の違い
東日本は俵型が主流になっています。米俵を表しています。(豊穣の神様である稲荷神社)
西日本は三角形が主流です。キツネの耳を表しています。(稲荷大明神の使いである狐の耳)
いなり寿司の呼び名について
いなり寿司には呼び名が数種類あります。これは地方によって変わってくるのですが、私が知っている呼び名に、いなり寿司、お稲荷さん、いなり、きつねずし、しのだ寿司、揚げ寿司などがあります。おもに西日本でつけられることが多い呼び名です。これは関西人のユーモアからくるものなのでしょうね~
最後に
今回はいなり寿司の起源や呼び名について調べたことを記事にしました。いなり寿司の起源を調べてみて今のファーストフード的な存在であることが分かりましたね!今でも必ずコンビニではサンドウィッチやホットドック、おにぎりと一緒にいなり寿司は並んでいます。
手軽に食べられるお寿司いなり寿司は、今も私たちのファーストフードとして愛されています。
では次の回でいなりずしの作り方をまとめていきますね。
この記事が皆様のお役に立てればうれしく思います。
最後までブログに目を通して下さいましてありがとうございましたm(__)m
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